Profile

こんにちは、taigaです。

社員250人超の家業の二代目修行をしながら
静かに創作活動をしている人です。

若かりし頃は
「オラは絶対に継がねえ!」と言って失踪して
東京の片隅で一人、細々とご飯を食べていた時期もありました。

Webライターをやったり。
輸出入物販をやったり。

「全盛期(?)は6股とかやってたけど、今は人の役に立ちたいんです」
という元ナンパ師をプロデュースして恋愛コーチにしたり。

「とにかくノニジュースを売りたいんです!!」
という謎の情熱を持つ大学生と一緒にノニジュースを売る仕組みを作ったり。

色々やって食えてはいたし、為替や暗号通貨の投機で
一生分くらいの金銭が手元にある状態になってしまったこともあり
このまま自由気ままでいようかなと思いながら暮らしていたのですが

「自由気まま」の取り扱いには、向き不向きがあったようで。

生活は昼夜逆転して堕落の限りを貪るわ
意味もなく無駄金を湯水のように使うわ

しまいには精神病んで、一日中カーテン閉め切って
オカルトやスピリチュアルに没頭していく、という

絵に描いたような、「人間の末路」を辿っていました。

「自由」や「快楽」と
「幸福」は全く相関していなかったのです。

 

その間にも、家業の方では大型の合併をしたりして
年商は三桁億、バイトを含めた総従業員数は三千人
というよくわからない規模にまで膨れ上がり

「跡継ぎなぞ知らん」
では済まない話になってきていました。

僕も、自分一人だけの生き方に限界を感じていたし
跡継ぎが使命なのだとしたら
あるいは、大きな力で大きな徳を積むことができたなら
もしかしたらいつの日か
「幸福」の何たるかを知ることができるかもしれない…

そういう心の経緯と歳月を経て
家業二代目を受け入れることになり、今に至ります。

 

フリー世界の到来に向けて

いろんな活動を展開してきましたが
僕にはずっと一つの想いがありました。

「フリー世界の到来と、その先を見たい」
という想いです。  

フリー世界という言葉は勝手に作ったのですが
あらゆるもののコストが限りなく0円(Free)の世界
ということです。  

そんな世界が実現可能なのか?

可能でしょう。

これについて説明する為に、まず「シンギュラリティ」の話をします。  

シンギュラリティとは?

人工知能の第一人者レイ・カーツワイル博士が提唱したもので、

「2045年頃に技術的特異点(Singularity)があり、AIの演算能力が人類の知能の総和を上回る」
という未来予測です。

要は、AIが何を考え、判断し、実行しているのか、人間には理解できなくなるということです。

既に将棋やチェスなどのボードゲームにおいてはその現象がハッキリと現れていますね。
まあ、ルールの縛りがあるゲームでAIと戦うのはチーターと競争するようなものなので、そこで争うことに意味はないんですが。

国家間の戦争も、主戦場は既に3次元の物理空間ではなくなりました。
敵国のシステムを攻撃するサイバー戦争が主となり、戦っているのは人間のハッカーではなく、AI対AIです。

経済戦争であるマネーゲームも同じです。

2016年辺りから、AIの書いた小説が一次選考を通ったり、一瞬で音楽を作ったり、
アートの分野にも堪能になってきました。

これがさらに進化すれば、政治もビジネスも、
ビッグデータを解析できるAIに任せた方が合理的だよねってなっていくでしょう。

むしろ人間が出しゃばると迷惑、という世界になり、 この先はもう予測不能です。

これがシンギュラリティ。

で、こっちが本題なんですが、
2045年シンギュラリティの前段階として

2030年頃から
「プレ・シンギュラリティ」
という大変化が起こる、という予測があります。

このプレシンギュラリティが、フリー世界到来の鍵になります。

プレシンギュラリティとは?

一言で説明すると、

「資源・エネルギーの生産の超効率化」
です。

生産が超効率化するとどうなるのか?

「あらゆる資源が限りなく無料」
に近づきます。 

古来より資源とは「有限」であり
人類はその有限のパイを確保する為に戦争や労働をしてきたわけですが

植物工場、農業機械化、発電効率飛躍、建築3Dプリンター、流通業の自動化など

これら諸々の生産テクノロジーが同時多発的に普及すると
無尽蔵の生産と供給が可能になり
あらゆる物・エネルギーのコストが限りなく0になっていきます。

その技術臨界点を「プレシンギュラリティ」といいます。

人類の消費量を遥かに上回る資源を供給して飽和させてしまえば
生活の為の労働って、必要なくなりますよね。
人類が地球資源を喰い尽くさない限り…

これらの現象は既に局所的には始まっています。

物の価格というのは原則、「材料の希少性+人件費」な訳ですから
材料が希少でなくなり、機械化で人の手がいらなくなったならば
当然企業は大量生産して、競争原理で価格も下がっていきます。

何かと話題のベーシックインカムも現実的になるでしょう。

ベーシックインカムは全ての国民に等しく一定額の生活費を支給する制度で
ヨーロッパでは試験的に導入が始まっています。

財源の問題で実現は難しいと言われていますが
それは生活に必要なものの物価がまだ高いせいです。

確かに今の日本の物価で月に8万円の不労収入があっても
それだけで生活するのは至難の技かもしれません。
(田舎で贅沢せずに暮らしているミニマリストは沢山いますけどね)

食料に関しては、アメリカや日本の廃棄量を見れば
実際には現時点でも既に「生産>消費」の状態なのです。

プレシンギュラリティという技術臨界点を超える頃には
財源云々の議論の必要もなく、ベーシックインカムは導入されていると予想しています。

 

加えて、衣食住のコストが下がっていくのだから、そもそも必要なお金の量自体が減っていくのです。
2030年には今の職の大半が消えているといわれていますが、それは大半の職が消えても社会が回るってことです。

 

では、社会が潤って生活の為の労働が消滅した後は、何をしますか?  

漫画を描きたい人は一日中描けばいいし、
音楽をやりたい人は一日中やればいいし、
貴族になりたい人は頑張って働けばいいし、
起業家として活躍したい人は無限にチャレンジすればいいんじゃないでしょうか。  

およそ人類の夢見たユートピアは、数年そこらで大体叶ってしまうと思われます。

勿論、人工知能を含むシンギュラリティに関しては楽観論だけではありません。

しかしどの道、ここまで来たテクノロジーを止めることはもう無理です。  
勿論、テクノロジーの開発には倫理と慎重さが不可欠ですが、最終的に世界が支持するものは、遅かれ早かれ実現します。

少なくともフリー世界の到来は早いに越したことはない。
「食べる為の労働」は、人類の祖先のカップルが勝手に楽園のリンゴを盗み食いした罪のせいだそうですが
いい加減、許されてもいい頃でしょう。

フリー世界万歳、プレシンギュラリティ万歳。

 

しかし、ここで一つ問題が発生します。  

それは

急に広大な自由を手に入れた人々は大体、何をすればいいかわからなくなる

という事態。所謂「アイデンティティクライシス」です。   

実際、経済的にアーリーリタイヤした人などは
この「死に至る病」に陥りやすいのです。

 

大体そもそもこの理想郷、実は遥か昔に実現した国がありました。

古代ローマ帝国です。

一部のローマ市民は働かなくても衣食住が提供され、享楽的な生活ができていました。
(奴隷のおかげで…)

では、さぞや高貴なる精神をお持ちに違いないローマ市民は一体
日々何を求め、何をしていたのでしょうか…?

 

「パンとサーカス」です。

彼らは暇すぎて、毎日闘技場に入り浸って
パンをムシャムシャ食べながら時間を潰していたわけです。  

その後ローマ帝国は、当たり前ですが、衰退しました。。

せっかく衣食住の為の労働から解放されていたのに、全くクリエイティブではありませんでした。
ローマが理想郷の上に築いたものは、国民的なアイデンティティクライシスだったというオチです。

 

21世紀の僕らも同じような状態になるかもしれません。  

そうならない為には、ありきたりですが
「使命」に身を投じるしかないのではないでしょうか。

「今世はこれをやる為に生まれてきました」 と言えるもの。
使命を生きる人はアイデンティティクライシスとは無縁です。  

そして、これのことを本来、「仕事」と呼ぶのではないかと思います。

 

フリー世界が到来したら、人は「労働の時代」を終えるけれども
それは同時に、「仕事の時代」の始まりでもある。

21世紀の文明は、人類をもはやそれまでの歴史とは別の生き物に変化させるかもしれません。
だから今のうちから、自分の内面と向き合っておく必要があるんじゃないかなと思うのです。

全ての人が創造的になれる世界はすぐそこまで来ています。

僕はその時が楽しみで仕方ないのです。